山口英教授を悼んで

奈良先端科学技術大学 情報科学研究科教授 山口英氏が5月9日に逝去しました。謹んでお悔やみ申し上げます。
日本のインターネット黎明期におけるインターネットの普及に尽力し、特にセキュリティ分野で指導的役割を担った方でした。同氏の若すぎるご逝去を悼むと共に、本学内外で同じ時を過ごした方々の追悼の言葉を紹介します。


奈良先端大の創設期から共に:松本健一(情報科学研究科教授・総合情報基盤センター長)

山口君とは、大学の学年で言えば、私が1年先輩ということになりますが、奈良先端科学技術大学院大学との関わりで言えば、彼は1991年4月から同創設準備室にてその創設に関わりはじめており,彼の方が2年先輩ということになります。総合情報基盤センターの前身となる情報科学センターや附属図書館(電子図書館)の立ち上げはもちろんのこと、入試や広報などにおける精力的な取り組みは、本学創設期を知る教職員が広く認めるところです。
大学院大学という新しい教育研究組織のため、ただでさえ手探りの日々で、何かを見本にそれに無難に近づけていくだけでも大変であったろうにもかかわらず、彼はそうした道は選ばず、手探りだからこそ、それまでにはない取り組みを、柔軟な発想力と強固な実行力で次々と実現していきました。教授会等においては、過激だけれども、絶えず前向きな発言をし、自身がそうだったように、大学や研究科にも常に「先端」であり続けてほしいと願っているようでした。
大学院における教育や研究の今後について、どのようなビジョンや考えがあったのか、話を聞くことも議論することももう出来なくなってしまいました。心よりご冥福をお祈りいたします。

いつもお手本の先輩:藤川和利 (情報科学研究科 教授)

山口英先生とのおつきあいは、私が大阪大学基礎工学部情報工学科(現 情報科学科)の4年生の時に研究室に配属されたときからになります。当時、同じ研究室の山口英先生は修士2年生でした。その頃、大阪大学情報工学科に初めてUNIXワークステーションが導入されたのですが、山口英先生は、修士2年の学生にも関わらず、大学の職員の方々をリードする形でUNIXワークステーションやTCP/IPによるLAN環境の構築を行っていました。山口英先生の背中を追いかけるような形で、研究室に配属されたばかりの私もコンピュータ・ネットワーク環境構築の作業をお手伝いすることになりました。ここから、大阪大学情報処理教育センターに導入されたばかりのNeXT STEPの利用者向け手引きの作成、大阪大学の学内ネットワークの構築、奈良先端科学技術大学院大学では、全学情報環境システムや電子図書館システムの構築など、山口英先生が中心となって取り組んできたことに協力させてもらう機会が多く、常に新しいことに取り組む姿勢をみてきました。このような機会があったお陰で、私はいろいろな考え方を直接的・間接的に教わり、私が新しくシステムを構築する立場になった時にも、相談に乗ってもらいアドバイスをいただき、考え方が同じ方向であったときには、自分も成長したのかなと思えてうれしくなったものです。このような経験は私に取って大きな財産であり、「山口英先生ならどう考えただろう?」と考えながら、奈良先端科学技術大学院大学が常に先端でありつづけるように活動することで恩返しをしたいと思います。本当に残念でなりませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。

ご冥福をお祈りします:小笠原 司 (情報科学研究科長)

山口先生とは、私が1998年に奈良先端科学技術大学院大学に赴任してからのおつきあいです。最初お会いしたときはまだ助教授でいらしたのですが、他の人にはない大所高所の視点で物事を考えられ、しかも、人懐っこいところもある頼もしい先生だと感じておりました。内閣府のセキュリティ補佐官など学内で活躍され、非常に忙しくされている方だという印象を持っておりました。教授会の席などでは建設的な意見を発言され、大学の運営にも多大な貢献をされました。  
私が研究科長を務めるようになってからも、研究科運営に関していろいろなコメントをもらう機会がありました。また、教授会の席でも的を得た鋭い意見を何度もいただきました。研究科の将来構想について相談をお願いした際にも、快く話を聞いてくださり、的確なコメントをいただいておりました。  
山口先生はできるだけ長く奈良先端大で教壇に立ちたいというお気持ちで、最後まで病気と闘っていらっしゃいました。足が不自由になってからも、リハビリに通うかたわら、リハビリのためといって駐車場の一番上に車を止めて、駐車場を歩いている姿を見て、山口先生の心意気を強く感じました。  
その人柄、リーダーシップ、など、研究科にはなくてはならない先生でした。今後も、奈良先端科学技術大学院大学および情報科学研究科を見守っていてください。  
心よりご冥福をお祈りします。

yamaguchi

■ 山口 英 先生 業績概要

1964 静岡生まれ。
1990 10月、大阪大学大学院基礎工学研究科情報工学専攻博士後期課程を中退し、大阪大学 情報処理教育センター・助手として着任。
1991 3月、大阪大学大学院基礎工学研究科情報工学専攻にて、工学博士を取得。
4月、奈良先端科学技術大学院大学 創設準備室にて同大学設立に携わる。
1992 10月、奈良先端科学技術大学院大学情報科学センター・助教授。
1993 4月より、同大学情報科学研究科・助教授。
2000 4月より、同大学情報科学研究科・教授。
2002 4月より2004年3月まで、同大学 附属図書館長を併任。
2013 4月より2015年3月まで、同大学 総合情報基盤センター長 兼 附属図書館長を併任。

 大規模分散処理環境構築、ネットワークセキュリティなどの研究を行なう。
また、WIDE プロジェクトのメンバーとして、 広域コンピュータネットワークの構築・研究に従事する。インターネットと、そのセキュリティを中心とした実証研究と人材育成に25年以上にわたって携わ り、120件以上の学術論文を共著し、また160名以上の修了生を輩出した。
 日本のインターネット黎明期におけるインターネットの普及に尽力し、またアジア太平洋諸国を結ぶ衛星ネットワーク Asian Internet Interconnection Initiatives (AI3) を構築し、アジア各国の大学との関係構築と人材交流を先導した。
 インターネットの普及後、その安全な利活用のため、我が国のコンピュータ緊急対応センター JPCERT ならびにアジア太平洋の連携組織 APCERT の設立・運営に携わり、また内閣官房情報セキュリティセンター (NISC) 設立に関わり、初代の情報セキュリティ補佐官として我が国の情報セキュリティ政策立案に深く寄与するなど、その傑出した指導力を発揮した。近年はアフリカ 諸国を歴訪し、アフリカ諸国におけるコンピュータ緊急対応センター設立を支援し、グローバルな視点からインターネットの安全水準の向上に努めていた。
 学生時代から、UNIX システムを研究開発のプラットフォームとして使い、 UNIX Magazine に「UNIX Communication Notes」を連載していたことでひろく知られていた。技術研究から実用化までを俯瞰した、山口流の実証研究で数多くの弟子をあつめ、その飾らない人柄か ら、学生からは「すぐる先生」とファーストネームで呼ばれていた。
 世界各地を飛び回る多忙なスケジュールの合間を縫って、休日にはハーフマラソンやフルマラソンに挑戦し完走するなど、活発な毎日を送って いたが、2013年頃から足の不調を訴え、2014年春には治療法のない難病である多系統委縮症と診断される。2年間にわたる闘病生活の末、2016年5 月9日 午前11時38分、家族に見守られる中、永眠。