山口英教授を悼んで
奈良先端科学技術大学 情報科学研究科教授 山口英氏が5月9日に逝去しました。謹んでお悔やみ申し上げます。 | ||||||||||||||||||
日本のインターネット黎明期におけるインターネットの普及に尽力し、特にセキュリティ分野で指導的役割を担った方でした。同氏の若すぎるご逝去を悼むと共に、本学内外で同じ時を過ごした方々の追悼の言葉を紹介します。
山口君とは、大学の学年で言えば、私が1年先輩ということになりますが、奈良先端科学技術大学院大学との関わりで言えば、彼は1991年4月から同創設準備室にてその創設に関わりはじめており,彼の方が2年先輩ということになります。総合情報基盤センターの前身となる情報科学センターや附属図書館(電子図書館)の立ち上げはもちろんのこと、入試や広報などにおける精力的な取り組みは、本学創設期を知る教職員が広く認めるところです。 | ||||||||||||||||||
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■ 山口 英 先生 業績概要
大規模分散処理環境構築、ネットワークセキュリティなどの研究を行なう。 また、WIDE プロジェクトのメンバーとして、 広域コンピュータネットワークの構築・研究に従事する。インターネットと、そのセキュリティを中心とした実証研究と人材育成に25年以上にわたって携わ り、120件以上の学術論文を共著し、また160名以上の修了生を輩出した。 日本のインターネット黎明期におけるインターネットの普及に尽力し、またアジア太平洋諸国を結ぶ衛星ネットワーク Asian Internet Interconnection Initiatives (AI3) を構築し、アジア各国の大学との関係構築と人材交流を先導した。 インターネットの普及後、その安全な利活用のため、我が国のコンピュータ緊急対応センター JPCERT ならびにアジア太平洋の連携組織 APCERT の設立・運営に携わり、また内閣官房情報セキュリティセンター (NISC) 設立に関わり、初代の情報セキュリティ補佐官として我が国の情報セキュリティ政策立案に深く寄与するなど、その傑出した指導力を発揮した。近年はアフリカ 諸国を歴訪し、アフリカ諸国におけるコンピュータ緊急対応センター設立を支援し、グローバルな視点からインターネットの安全水準の向上に努めていた。 学生時代から、UNIX システムを研究開発のプラットフォームとして使い、 UNIX Magazine に「UNIX Communication Notes」を連載していたことでひろく知られていた。技術研究から実用化までを俯瞰した、山口流の実証研究で数多くの弟子をあつめ、その飾らない人柄か ら、学生からは「すぐる先生」とファーストネームで呼ばれていた。 世界各地を飛び回る多忙なスケジュールの合間を縫って、休日にはハーフマラソンやフルマラソンに挑戦し完走するなど、活発な毎日を送って いたが、2013年頃から足の不調を訴え、2014年春には治療法のない難病である多系統委縮症と診断される。2年間にわたる闘病生活の末、2016年5 月9日 午前11時38分、家族に見守られる中、永眠。 |