ヒトの疾患の一つであるがんでは、がん細胞が転移することによって治療困難となることが多く、 がんを制圧するには転移能について知ることが重要である。がん細胞の転移には複数段階のメカニ ズムが存在しているが、その中の一つに細胞外マトリックス中の移動が挙げられる。がん細胞が原 発巣から組織外まで移動するには、接着した部位に駆動するための力を発生させていると考えられ る。その駆動力を計測できれば,がん細胞の移動に関わる機構の解明の一助となり、さらにがん転 移のメカニズムの解明にも貢献できると期待される。そこで本研究では、がん細胞の移動時に発生 する駆動力を計測するシステムを開発し,マウス骨肉腫細胞についてその駆動力を測定することを 試みた。ここで細胞の駆動力とは、細胞が自身で移動する際に周囲の媒質に発生する張力のことを 言う。
本計測システムでは、細胞が移動する際に周囲の組織に張力が発生するモデル系として、弾性を もつポリアクリルアミドゲルの薄膜上で細胞培養を行い、細胞が移動時に基板に対して張力を発生 させることで起こるポリアクリルアミドゲルの弾性変形を、画像解析技術を用いて計測する。本計 測系では、ガラスボトムディッシュのカバーガラス上にポリアクリルアミドゲル(厚さ50μm)をコ ートし、その上をコラーゲンコーティングした基板を用いる。張力が発生した際のポリアクリルア ミドゲルの変形は蛍光粒子を用いて蛍光顕微鏡法で観察し、細胞の観察は微分干渉顕微鏡法を用い ることで互いに独立に計測できるようになっている。先行研究ではポリアクリルアミドゲル中に蛍 光粒子(直径200nm)を分散させておき、蛍光顕微鏡法で観察したが、蛍光バックグラウンドが大き くなるなどの問題があった。そこで本研究では、蛍光粒子をポリアクリルアミドゲルの表層のみに 局在させる方法を考案し、蛍光粒子位置をより精密に計測できるようにした。また、10分毎の時間 変化による細胞運動の様子と、それによって発生する力の大きさ、方向を蛍光粒子の変位により計 測する事が可能になった。さらに、解析における粒子重心位置の決定、各時間における重心位置の 変位を自動で算出できるようになった。計測実験では、マウスに自然発生した骨肉腫細胞であるLM 8を使用した。この細胞を基板上で培養し、細胞が基板上を移動する際に発生する蛍光粒子の移動距 離を、タイムラプス撮影により経時的に計測した。その結果、100分間の計測により、細胞が移動す る際に35.0nm〜58.8nmの蛍光粒子の変位が確認できた。これは計測限界の22nmに対してほぼ2倍近い 変位になるため、本システムで細胞が移動する際に発生する力を時間経過ごとに定量計測できるこ とが示された。このシステムを用いることで,駆動力と転移能力との関係やがん転移の分子メカニ ズムのさらなる解明に貢献できる事が期待される。