ウエルシュ菌と枯草菌の細胞周期に関する比較解析

奥村元 (0451131)


 近年、DNAシーケンス技術の進歩によってヒトを含む多くの生物種の全ゲノム配列が明らかとなり、ゲノムサイエンスは急速に発展してきた。病原微生物については、その病原性メカニズムの解明と未知の病原因子(毒素)の探索など医学的意義も高く、それらの菌種について積極的に解析が進められてきた。これまで、個々の病原菌ごとにその病原性に関与する毒素や病原因子の解析が行われてきたが、新たに全ゲノム情報が明らかとなった病原性細菌については、ゲノムスケールでの系統比較解析が行われ、病原菌の進化やゲノムの多様性などについて数多くの報告がなされている。

 しかしながら、病原菌において細胞増殖に係る基本的な分子機構については、ほとんど分かっていない。これまで枯草菌をはじめとするモデル細菌を用いて染色体複製・分配、細胞分裂など細胞周期に関する研究が、分子遺伝学的手法を用いて行われてきた。その結果、個々のタンパク質が関与する細胞周期に関するそれぞれの分子機構について数多くの知見が報告されている。こうしたモデル細菌における細胞周期に関する分子機構モデルが、病原菌をはじめとした他の細菌でも同様なのか、実験的に検討されているわけではない。

 我々は、枯草菌で明らかになっている細胞周期に関する分子機構が、病原菌においても同様なのかそのメカニズムを明らかにするために、枯草菌とウエルシュ菌の比較解析を試みることにした。ウエルシュ菌は、16SリボソームRNAによる進化系統分類法によると、真生細菌界(eubacteria)発酵菌門(firmicutes)に属し、胞子を形成するグラム陽性の偏性嫌気性桿菌である。2002年に全ゲノム配列が報告され、3,03Mbpの環状染色体に2,660のタンパク質コーディング領域を有していること、さらにそのGC含量は28.6%と著しく低いことなどが明らかになった。ウエルシュ菌の全ゲノム配列が明らかとなったことで、細胞周期に関する個々のタンパク質について、これまでの枯草菌における分子遺伝学的手法に基づいた解析をウエルシュ菌に適用することが可能となった。我々は、同じfirmicutesの低GC含量グループに属しウエルシュ菌とも進化系統的に近縁種である枯草菌との比較解析を行うことにより、枯草菌における細胞周期に関する分子機構がウエルシュ菌でも同様であるのか、また異なるのであればその固有の分子機構について明らかにすることを研究目的とした。

 解析を行った結果、フローサイトメトリーを用いた複製開始頻度測定では、枯草菌では同調性の取れた複製開始によって、1細胞当たり4個や8個のoirC数を示すDNAピークが観察された。それに対して、ウエルシュ菌では1細胞当たり4個から8個のoirC数を示す範囲に幅広のDNAピークがひとつ観察されるだけであった。フローサイトメトリーの結果に加え、DNA/protein比の測定と顕微鏡観察による1細胞当たりの核様体数計測によって、ウエルシュ菌では複製開始の同調性が乱れている事を示唆する結果が得られた。ウエルシュ菌では、同調性の乱れた複製開始によって、枯草菌では通常見られない3個や5個といった奇数個の核様体を持つ細胞が観察された。これらの核様体は、枯草菌と比べ凝縮度合いが弱く、細胞内に不均等に広く散在していた。さらに生細胞を用いて膜染色(FM4-64)を行ったところ、細胞中央付近に核様体が位置する細胞が観察された。その時の分裂隔壁は、細胞の中央に位置する核様体を避けるように形成されていた。本研究では、複製開始における同調性の乱れが細胞周期全般に与える影響について議論したいと考えている。